このページにまで辿り着いた方は、PONO(ポノ)に対してどことなく“違和感”を覚えた方ではないでしょうか?
そして、その違和感の正体とはおそらく、
ここまで理念や哲学を背負わせた玩具ってあるの?
ということではないでしょうか?
(違和感=興味だとありがたいです。)
PONOって確かに、表面だけを見れば、
たったそれだけ??
という印象のみでスルーされてしまう玩具に過ぎません。
しかし考案者の私は、このPONOに「終わらないゲーム」「自分と調和するゲーム」というキャッチフレーズをつけていたり、さらには「瞑想ゲーム」と謳(うた)っていたりもします。
実際、この玩具に対し、並々ならぬ“想い”を込めています。
ですからその違和感は、ある意味、正解です。
おそらくこれほど、ひとつの玩具が、理念や哲学を背負わせてリリースされることはほとんど類がないでしょう。
ここでは考案者である私の自己紹介も兼ねて、PONOに込めている想いについて深く掘り下げて解説してみたいと思います。
(※ 本記事は、2024年3月にiOSのみで配信された「体験版PONO」リリースのタイミングに合わせて書いたものです。)
Contents
昔から勝負事が好きじゃなかった
PONOが掲げている重要な要素のひとつとして、
勝ち負けもなければ、高得点を狙う必要もない、ただ自分のペースでやるのみ
というものがあります。
子供の頃、私は、皆に混じって野球やドッジボールをするよりも、キン肉マンのゴム人形(通称:キン消し)を使ってひとりで遊ぶほうが好きな子供でした。
運動は苦手ではありませんでした、むしろ得意でした。
ですが、“勝負”に参加してしまうと、負けたら気分が悪くなるし、勝ったら勝ったで相手に申し訳ない気持ちが生じたり、恨みを買ってしまうんじゃないかというモヤモヤが残ったりします。
だったら、はじめから勝負になど参加しなければいい
……そんな気持ちがありました。
要するに、昔から勝負事があまり好きではなかったのです。
中学ではちょっとした流れで、幼馴染と共にバレーボール部に入りました。
(ちなみに強豪校ではまったくありません。)
この場を持って初めて告白しますが、私にはあまり「勝ちたい!」という気持ちはありませんでした。
練習は好きでしたが、試合は好きではありませんでした。
いつも楽しく練習しているのに、試合になると皆、人が変わったようになってしまうのが、好きではありませんでした。
友達を蹴落としてレギュラーになろうとするのも、好きではありませんでした。
もちろん、勝つための部活や、スポーツを通しての精神鍛錬も、否定はしません。
でも、それだけじゃないってことが(そうした価値観が)、社会においてあまりにも見過ごされている気がします。
勝つために人は“イヤな人”になる
私の基本的な性質は、大人になってもほとんど変わっていません。
今の私は、真のスポーツと呼べるものは『キャッチボール』だと思っています。(野球ではなく、ただのキャッチボールです。)
何よりキャッチボールには、勝ち負けがありません。
しかも、取りやすいところに玉を放らなくてはいけません。
何と素晴らしいスポーツでしょうか、これぞ真のスポーツ。(笑)
基本的にスポーツというものは、お人好しすぎると勝てません。
相手の取れないところに打つ、相手を出し抜く、騙す、というのが基本です。
格闘技にしたって、相手が対応できない技を出す、力でねじ伏せる、というのが基本です。
普段、性格のいい、優しい人であっても、スポーツや勝負事となるとどうしても、ズルい人、イヤな人とならざるを得ません。
こう指摘すると、人は必ずこう返します。
だってそういうルールだから
とか、
だって勝負がつかないと終わらないでしょ
と。
しかし、ルールとは、あくまでも人が決めたものです。
物は上から下に向かって落ちるという、万有引力の法則などとは違います。
単に人が決めたルールなだけなのに、それによって人は、“イヤな人”になることを無条件で許されるのでしょうか?(笑)
勝ち負けがないものは気持ちいい
また、多くのスポーツでは、「終わる」ということも大事です。
「終わる」ということはすなわち、「勝負がつく」ということです。
「勝負がつく」から「終わる」のです。
逆に言えば、勝負がつかなければ終わりません。
終わる必要があるから……、どこかで終わらなければいけないという前提があるから……、どうしても勝敗を白黒ハッキリさせる必要があり、そのために人はこころを鬼にし、“イヤな人”にもならなくてはいけないのです。(笑)
ここでまたキャッチボールの話に戻すと、キャッチボールには、特に終わりがありません。
やめ時は、自分たちで決めるしかありません。
「ここらでやめようか?」「うん、やめようか」といったように、双方が気持ちよく終えることができます。
勝ち負けもなく、終わりがないものは、基本、気持ちいいのです。
なぜなら、そこには双方の「納得」があるからです。
勝ち負けがあると、皆が「納得」することは、どうしても難しくなってしまいます。
人は勝ち負けがあるとつい無理してしまう
もっと言えば、人はスポーツに取り組む時、無理をしがちです。
勝つために、つい無理してしまうのです。
そのため、怪我をしたり、体を壊してしまうことも多々あります。
あらゆる生き物の中で、無理をするのは人間だけです。
腹を空かしたライオンも、疲れている時には獲物を追わないそうです。
とかく、人は相手に“勝つために”無理をします。
大人になってから、徐々に気づいていったのですが、これはビジネスの世界でもほぼ同じです……。
(「ほぼ」という言い方に少し私の希望が表現されています。正直なビジネスも、あるにはあります。)
現代人は、学校でも仕事でも、常に競い合うことと、多少無理をしてでも成長し続けることを、社会から求められています。
……以上のような私の考え方があって、PONOでは、
競わない、比べない、争わない、無理しない
というキーワードを掲げています。
勝負事も、無理することも、疲れますからね。
……でも、疲れることに、もういい加減、疲れましたよね?
自分自身の意思でやめることが大事
今度はまた、別の観点からお話ししていきましょう。
私って実は、転職大王なのです。
久しぶりに会う友人からは大抵、「今、仕事何やってるの?」と聞かれます。
(そんな私も作家およびライター業をメインとした個人事業主になってからもう7年が過ぎました。)
今思えば、私の青年期は、まるで大人版キッザニアでした。(笑)
(それでも自分の核である童話創作だけは18歳の時から一貫して続けてきましたが。)
ここでちょっとセンセーショナルな自己紹介をしますが、実は私、やめることが好きなんです。
何事においても「やめる」という決断をしなければ、ルーチンの流れに飲まれるだけです。
明日も来月も来年も、今日と同じような日々が繰り返されるでしょう。
もちろん、新しい何かを始めることも楽しいです。
「始める」って基本的にはそこに(たとえ幻想であれ)前向きな理由がありますからね。
一方、何かをやめる時、人はそこに前向きな理由は見つけにくいです。
でも、見つけにくいだけ。
始めることもやめることも、どちらも同じように“自分の運命が変わるきっかけ”となり得ます。
ただ、私がいつも感じているのは、
何かを始める時より、何かをやめる時のほうが、人生の舵取りをしているという実感があるよなぁ……
ってことです。
だから私、やめることが好きなんです。(笑)
PONOは、終わらないゲームなので、やめるタイミングは自分自身で決めなくてはなりません。
考案者ながら、PONOにおいて非常に気に入っているポイントは、案外、こんなところなんです。
さらには、キャッチボールと違って、相手に相談する必要も一切ありません。
完全に、運命(およびスケジュール)を自分自身で決められます。(笑)
※ キッザニアとは、子供がいろんな仕事を楽しく体験できるテーマパークです。
外からの刺激より、自分の中を見つめる
今の世の中、本当に、刺激物や、刺激を誘発するものばかりです。
そして、それら刺激の中心となっているのは、どれも「勝ち負け」です。
学校でも職場でも、勉強でもスポーツでも、仕事でも日常生活でも、常に「人に勝て!」「人を出し抜け!」……そればかりです。
個人の「納得」は、ほとんど重要視されません。
「納得」という感情は、勝ち負けを超越したところにあります。
なぜなら、たとえ負けても納得できる、ということがあるからです。
人が、人生の中で真に求めているものは、「必ず誰かに負けてもらわないと得ることができない『勝ち』」ではなく、「ひとりで完結することができる『納得』」ではないでしょうか?
私はこのことに気づきました。
「気づいた」というより、「本来あるべき姿を思い出した」という表現が近いでしょう。
はたしてこれは、私だけでしょうか?
私は、現代の地球に、現代の日本に生きています。
私が感じていることは、おそらく他の皆さんも感じているのではないでしょうか?
今、世界そして日本は、岐路に立たされていると思います。
いえ、変わるべき時、過渡期に立っている、といったほうが正しいでしょう。
ここで私は、やれ環境保全だ、脱炭素社会だなどと、そんなチャチなことを言うつもりはないのです。
(それらも大体が誰かのビジネスですから。)
私が望むのは、
もうみんな、ここらで「正直」に生きましょうよ
ということです。
もっと具体的に言うならば……
- 自分は、本当にそんなに刺激ばかりを求めているのか?
- 自分が、本当に求めているものは何か?
- あの人に勝ったら、そんなに嬉しいのか? それで何が残るのか?
- 「自分の心を痛めて得られる成功」というものに、それほど価値はあるのか?
ということです。
このように、自分に正直に生きるために(ありのままで生きるために)大事なことは、「静かな心で自分の中を見つめること」です。
そして、辿り着くべき境地は、やはり、
競わない、比べない、争わない、無理しない
……そんな心だと思います。
(※このキャッチフレーズは作家・小林正観さんの唱えている“きくあ”の思想に、私がもうひとつ「無理しない」を追加したものです。ちなみに私は、老子と小林正観さんのファンです。)
PONOの発想の原点
さて、このたび、“先行版”としてリリースされた『iOS・体験版PONO(ポノ)は、元々は実機の玩具として構想されたものです。
事実、試作品も実機で作られました。
アイデア自体は、私が大学生の時、ゲームセンターでアルバイトをしている時に思いついたもので、着想を得てから、実はもう25年近くが経過しています。(古い!笑)
ですが、私はこのアイデアのことをずっと忘れることができませんでした。
……何より私自身が欲しかったのです。
このPONOの、私の中での類似イメージは、「テトリス」と「シュウォッチ」です。
前者は、言わずもがなの超有名ゲーム。
後者は、私と同世代の男性なら知っている人も多いでしょう、ゲームのコントローラーを模した、ボタン連打の回数を測れる玩具です。(当時、男子の多くは、高速ボタン連打を得意とする高橋名人に憧れていました。)
テトリスに関しては、
だんだん速くならなくていいのに……
とずっと思っていました。
シュウォッチに関しては、
もっとゲーム性があれば……
とずっと思っていました。
私の頭の中にあったゲーム(のちのPONO)は、この2つをクリアしたものでした。
そしてそれは、ずっと自分が欲しいものとして頭の中にあるのに、誰も作ってくれませんでした……。(世の中に登場しませんでした。)
しかし、だからこそ、特許を取ることもできました。
・試作機を作っていただいた業者様
・特許取得でご協力いただいた弁理士様ならびに発明組織の皆様
・『iOSアプリ・体験版PONO』を作っていただいた業者様
・イラストやデザインでご協力していただいた方々
に、この場をお借りし、重ねて御礼申し上げます。
(※本サイトのトップページで皆様のお名前を掲載させていただいております。)
すべて偶然の引き合わせの結果
すべては偶然でした。
PONOのアイデアには、20年近くの間、ずっと名前がありませんでした。
試作品を作った際、はじめに、TAN-TAN(タンタン)と名づけました。
しかしその名前では商標がすでにあったため、そのあと、E・G(イージー)と名付けようとしました。しかしこちらも商標登録済み。
私はたまたま、「PONO(ポノ)」という名前に辿り着きました。
PONOとはハワイ語で「自分と調和する」という意味です。
いろんな国の言語でネーミング案を考えていく中で、まず語感から気に入り、そのあと意味を知ったという感じです。
これもすべて偶然でした。
PONOのゲームシステムにおいて特許を取得できたことも、PONOという名前で商標出願できたことも、今振り返れば、すべて偶然だったと思います。
もっと言えば、私が童話作家であり、これまでに絵本を共作した方々にPONO制作においてご協力いただけたことも、すべて偶然でした。
さらに言えば、私がここ数年の間に“老子(ろうし)”についての本を読み漁り、PONOのアイデアにタイミングよく、老子の思想の要素を結びつけてリリースすることができたのも、すべて偶然でした。
私は、「偶然には神が宿る」と思っています。
実際、PONOには、「PONO」というネーミング以外ありえなかったです。
PONOプロジェクトのこれから
基本理念を踏み外さず進化していきたい
『PONO(ポノ)』は現在、製品版実機の製作および販売でご協力いただけるスポンサー様を探しています。
また、スマホアプリPONO〈正規版〉のほうも、シンプル路線を崩さない範囲で、今後さらに新しいアイデアを搭載していくつもりです。
より遊び方の幅を広げる新モードや、指示を音声で出すモードなども、どこかのタイミングで搭載したいと考えています。
PONOは、非常にシンプルなだけに「もっとこうすれば」というようなご提案をいただくことも非常に多いです。
しかしながら、どれも複雑さを増したり、勝負心をくすぐるような内容であることがほとんどです。
・スイッチ群をもうひとつ横に作って桁数を増やす
・スイッチ数を増やし、アルファベット表示も可能にする
・上の画面の指示を計算問題やクイズにしたりする
というアイデアなどは、どれも私がPONOで実現したいこととは、少しずれを感じます。
ですが、上記アイデアも一応、特許範囲内には含まれています。
現在、スマホアプリPONOには、
・漢数字モード
・ブロックモード
・英語スペルモード
・ミックスモード
と、4つのモードとタイムアタックモードが搭載されています。
考案者の私としては、もともと着想の原点が漢数字モードだったので、PONOは漢数字モードが基本と考えています。
これはどこかで伝えておきたかったのでここに記します。
そして、PONOの使い方ですが、
- 手持ち無沙汰な時
- わけもなく落ち着かない気分の時
- 嫌な記憶が心にまとわりつく時
- ひとりになりたい時
- 何も考えず無心になりたい時
- リラックスしたい時
- ひとり会議や瞑想のお供に
- 親しい人との電話中に
などと、いろんな場面でいろんな使い方をされるとうれしいと思っています。
PONOはこれからも、基本理念を踏み外さない範囲内で進化を図っていきます。
やって楽しいか、楽しくないか、それはその人次第、その時の気分次第です。(笑)
私思うに、どんなゲームでも、基本、作業なんです。
その作業に対し、どんな気持ちで取り組むかで、仕事にもなり、遊びにもなるわけです。
たとえば、“畳の目”をひたすら数えるのは一般的に苦行ですが、心を落ち着けたい時にはあえてやってみるということもあるでしょう。
PONOも実は、そんなものでありたいと思っています。
PONOで世界をちょっと変えたい
そんなPONOが今後目指す展開としては、まず「ボタンの押し心地もしっかり楽しめる実機」として発売したいというのが、基本構想の大きな柱としてあります。
「気軽にさわれる手遊びの道具」としていつでも机の上に置いておく……そんなふうな生活への溶け込み方が理想だと思っています。
もちろん、スマホ版も十分魅力的なのですが、ボタンの凹凸を指で感じられれば、皮膚感覚への刺激も加わり、より脳の中の快楽が増す(瞑想効果も高まる)と考えています。
実際、実機で作られた試作機には、プレイしていて独特の気持ちよさがあります。(上の写真参照)
実機として人の体くらいまで巨大化すれば、PONOはフィットネスの道具にだってなるでしょう。
そうなれば、頭と同時に体も動かせる新機軸のフィットネスです。
また、実機の小型のPONOに、“音声指示モード”を搭載すれば、記念品やオリジナルグッズにもなるでしょう。
たとえば、好きなアーティストの声で、「いち!」「なな!」などといった数字の指示が出るようになれば、コンサート会場などで販売するファングッズにもなります。
さらに珍案を言えば、最近では顔をあえて見せ合わない、“マスクお見合い”なんてのもあるそうですが、その類似形として、初対面同士の人がPONOをしながら会話をする、“PONOお見合い”なんてのもいいでしょう。
(PONOは脳への負担が軽く心地よいので、いろんな“ながら”に最適です。)
……そのようにして、PONOをある種、“普遍的なもの”にしていけたらいいなと思っています。
それと同時に、私がPONOに込めている理念や哲学なども世間に浸透していったら、もう最高です。
競わない、比べない、争わない、無理しない
そうなっていくと、もしかしたら世界はちょっと変わるかも知れないです。
そんなうっすらとした期待を、私はPONOに対して持っています。
PONOの用途は「瞑想ゲーム」としてだけでなく、まさに無限大。
そして、PONOプロジェクトは、今まさに始まったばかり。
最終的に目指しているのは……
“畳の目”です。(笑)
(ある意味、めちゃくちゃ“普遍的”です。)